印象に残っているボクサー・その6:川島敦志(かわしまひろし)

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◆無類のテクニックと打たれ弱さ

 

テクニックだけをとるなら、日本で過去一番かもしれませんね。アンタッチャブル打たせないで打つ、を徹底したボクサーでした。
東日本新人王の決勝の相手は、インターハイの決勝で勝っているピューマ・渡久地さん。テレビで見ましたが、これが新人王戦かと思うほどハイレベルの戦いでした。もうすぐでも日本タイトルに挑戦できるのでは、と思わせるほど素晴らしい試合でした。(1988年12月)
しかし、6回KO負け、早くも打たれもろさを露呈してしましました。
勝った渡久地さんはスター街道を、負けた川島はその後、A級トーナメントの予選で無名選手に1回KO負け
渡久地さんは1990年に無敗のまま日本チャンピオンになっています。

◆引退した?

 

テレビで川島を見たのは、東日本新人王戦が最後で、その後しばらく名前すら聞くこともありませんでした。A級トーナメントの予選でKO負けしたのも、ボクシングマガジンで知ったぐらいです。「川島も終わったな」この負けの記事を読んでそう思った記憶があります。

このあと2度も骨折し、苦難の日々を過ごしていたことも、当時はまったく知りませんでした。

 

◆復活

 

日本スーパーフライ級の王座を獲得したのが、1992年7月。誰もが引退したと思った(もしかして私だけ?)最後のKO負けから3年、みごとに復活しました。

このころ、渡久地さんは所属ジムとトラブルを起こし、無期限のライセンス停止状態でしたから、世の中わかりませんね~ホントに。
実はこの頃の試合はテレビ放映がなかったので、その研ぎ澄まされたテクニックを実際に見ることはできなかったのですが、それは2年後の世界タイトルマッチでじっくり拝見することができました。
1994年5月、WBC世界スーパーフライ級チャンピオンのホセ・ルイス・ブエノを判定で破り、王座奪取に成功。惚れ惚れするようなみごとなテクニックでした。

 

◆実はパンチも切れる

 

このタイトルは6度も防衛してるんですね。意外でした。
ほとんど判定勝ちながらも、ダウンを奪う場面が結構あり、自分も被弾して倒れる、という、判定決着にしてはスリリングで、スリッピングアウェーなる技術を披露するなど、その超技巧を随所にみせ、飽きさせないチャンピオンでしたね。

本当に優れたテクニシャンは、パンチを打つのも正確で、ナックルパートがきっちり当たるので、結構相手にダメージを与えることができます。まさに川島さんがその典型的な例うだと思います。20勝のうち14のKO勝ちがあるのは、何よりの証だと言えるでしょう。

東日本の新人王で川島さんにKO勝ちしたピューマ渡久地さんは、結局無敗で日本チャンピオンになりながらも、世界タイトルには届きませんでした。

 

 

 

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