印象に残っているボクサー・その3:西城正三

[pc][/pc] [mobile]
[/mobile]

目次

◆シンデレラボーイ

 

西城正三さんを知っている人はボクシングファンでも、かなり高齢の方ですね。私が高校生の時に活躍した選手ですから。
この人も2番目に紹介するほど強いボクサーでもなかったし、失礼ながら辰吉さんほどの知名度もないでしょう。でも、彼は何もかもが派手で、私の中ではかなり印象に残っています。

 

なぜ、シンデレラボーイと呼ばれたのか。
無名のボクサーが、一晩で世界チャンピオンになって、アメリカから帰ってきたからです。
戦績もぱっとしない日本フェザー級のランキングボクサーだった彼が、単身アメリカへ渡り、ノンタイトル戦で当時の世界チャンピオン、ラウル・ロハスに判定勝ちしたのが事の発端です。
一躍世界ランカーに名を連ねた彼は、すぐに世界戦のチャンスが巡ってきました。(1968年9月)
ロザンゼルスでラウル・ロハスに挑戦し、判定で王座奪取、しかも、日本人で初めて海外で世界タイトルを獲得しました。派手でしょう?

 

◆印象に残るノンタイトル戦

 

彼はいわゆるイケメンで(当時はそんな言葉はありませんでしたが)端正な顔立ちと日本人にしては足が長く、ルックス面でも派手でした。

彼の試合で結構印象に残っているのが、防衛戦ではなく、シンデレラボーイとして帰国しての初戦です。ノンタイトル戦でフィリピンのチャンピオンと対戦しました。ノンタイトル戦ですから相手は世界ランカーでもなく、完全な格下、いわゆる調整試合のはずでした。

これが大苦戦、何度もダウンを喫し、「やっぱりフロックで世界チャンピオンになっただけちゃうか。これはあかんわ」と思いました。結局、逆転KOで薄氷の勝利を得ましたが、これからの防衛戦に大いに不安を覚えたのは私だけではないでしょう。
その後5回防衛をしましたが、彼が勝って一番感激していたのはこの試合でしたね。

 

◆本物にはかなわない

 

私は当時のフェザー級は、日本でも軽量級扱いで、世界の選手層もエアポケットみたいに、そんなに厚くなかったように思います。今のフェザー級の方が明らかに世界のレベルは上です。

だから5回も防衛できたのでしょう。シンデレラは運に恵まれていました。

パンチがさほどあるわけでも、テクニックがあるようにも思えず、むしろ不器用なほうだと思いますよ。ただ、チャンスの時のラッシュが派手で、しかも残り30秒前に必ず攻撃を仕掛けていましたから、採点では有利に働いたのかもしれません。
しかし、ベネズエラからきたアントニオ・ゴメスは今までの挑戦者とは別格でした。
「これは負けるな」戦前の予想も王者不利に傾いていました。
まったく歯が立たず、5回KO負け、6度目の防衛に失敗しました。

ついにシンデレラは、12時をまわってしまいました。

タイトルとURLをコピーしました